鼓動集鑑賞 (前月以前) 

俳句と鑑賞
2018年3月号より 

雑煮喰ぶめでたく一つ年を喰ひ =幸子=

(前略) 丸餅/角餅 すまし汁/赤味噌仕立て/白味噌仕立て/小豆汁などいろいろあるが、関西地方では丸餅、寒冷地や東京周辺では角餅を使う傾向がある。雑煮を食べる際には旧年の収穫や家族の無事に感謝し、新年の豊作や家内安全を祈り、この句のように芽出度く一つ年を喰うことになる。  

 2018年1月号より 

身代はり猿褪せし奈良町小豆売る =千賀子=

奈良町の家の軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしているのである。この奈良町で奈良の伝統的な小豆「宇陀大納言小豆」が売られていたのであろうか。  

  2017年11月号より

夜風身に添ひつ虫の音高まり来 =敏子=

秋の夜のひと時を、体に感じる涼しい風と、高まり来る虫の音で表現されている。この一瞬の以前にはどのような日常があったのか。この一瞬の後には、何が待っているのか。そんな事とは関係なく、この瞬間の皮膚に感じる風と耳に聞える虫の音のみを句に表現している。 

 2017年9月号より

果樹園に嫁ぎ生涯袋掛 =淑子=

本来は袋掛け等をしないほうが味が濃くておいしい果実が出来るのだが、コガネムシやカメムシの被害を防ぐ為には、農薬を散布するか袋掛けをするかの選択をしなければならない。果樹園に嫁ぐと云う事はこのコガネムシやカメムシとの闘いに参加することであり、生涯袋掛けをすることに繋がるのである。 

 2017年7月号より

庭隅のどくだみ闇に白十字 =正邦=

どくだみの開花期は五〜七月頃。茎頂に、四枚の白色の総苞(花弁に見える部分)の花には花弁も萼(がく)もなく、雌蕊と雄蕊のみからなる。生薬名十薬(じゅうやく)とされ、日本薬局方にも収録されている。十薬の煎液には利尿作用、高血圧、動脈硬化の予防作用などがある。まさしく赤十字ならぬ白十字として役立ってきたのである。

2017年5月号より 

さざなみの虜となりし残り鴨=敏子=

 春深くなっても居残っている鴨のこと。鴨は冬鳥として日本に渡来し、春になると北方へ帰ってゆくが、帰る時期の遅い小鴨などは五月ころまでとどまることもある。軽鴨は留鳥なので残る鴨とは云わない。残り鴨は体調が悪かったり、連れ合いの行方が分からないなど、何らかの事情があり、仲間とは一緒に帰れなかった鴨とみられるが、この句の鴨は、寄せ来る細波の虜になってしまって帰れなかったのであろう。

存らへておみな四代雛の前=淑子=

 ながらへて=年齢を重ねての意。おみな=女。女性。おみな四代とは、曾祖母、祖母、嫁、子女の四代のことであろう。その四代が雛壇の前に揃った。まこと目出度いことである。

2017年3月号より 

  冬薔薇の刺も身のうちそっと撫ぜ =正邦=

薔薇になぜ刺があるのか。有力なのは、護身の説である。バラの原種は、中近東や中央アジアなど北半球の草原に自生していた。草食動物に食べられないよう、トゲで身を守っていたと云うもの。まだ蕾も出ない冬の薔薇が、寒さに身を固くしながら刺で身を守っている姿が可憐であり、そっと撫ぜてみたのである。

田作りや昭和の味を噛みしめて=敏子=

黒豆・田作・数の子などは江戸時代からのおせち料理の定番メニューである。(江戸ガイドから)その内の、現代の田作りは、カタクチイワシの素干しを軽くあぶり、しょうゆ、みりんまたは砂糖を煮込んだ液と混ぜたものである。(中略)この、醤油・味醂・砂糖の単純な味付けを、昭和の味と感じたのであろう。

2017年1月号より 

秋うららシャンソン流るバスの旅 敏子

日本で有名なシャンソンと云えば、枯葉とかバラ色の人生・愛の賛歌・ラメール・忘れな草などであるが、日本人が乗り込んだフランスのバスでも気を利かせて、日本人好みのそのような曲も流してくれたのかも知れない。それを聞く心は、もう秋うららなのである。

  祖谷の里渓より暮れて秋深し   チエ子

(前略) 一帯は源氏の追っ手の届かない平家の隠れ里(地理学的には隠田集落と呼ぶ)として名高く、日本三大秘境を謳う地である。この急峻な渓谷から日が落ちて夕方を迎えた祖谷は、今深い秋の只中にある。

2016年11月号より 
あみだくじ来世は金魚ゆうらゆら 幸子

あみだくじは、室町時代から行われていたが、現在のあみだくじとは違い、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いて、それを辿り引いたものであった。これが阿弥陀如来の後光に似ていたことから、この名がついたと云われている。来世はあみだくじを引くように、どうなっているのか分らない。もしも金魚になっていたら、ゆうらゆらと生きてゆくのであろうかと、そら恐ろしく、又、楽しい夢想の俳句である。

新涼や放下して立つ月のもと  暁子

放下はいろいろ考えられるが、この句の場合は禅語の「放下著(ほうげじゃく)」 (趙宗和尚 (じょうしゅうおしょう))に近いものであろうか。あらゆる迷いや執着を捨て去ることで心から身軽になることである。尾崎放哉の俳句「持ちきれない荷物の重さ前後ろ」のようでは、進退極まるのである。新涼の夜に一切の余分な雑念を捨て去り、青い月の下に立っている。そんな凛とした姿の句であろう。

 2016年9月号より

長らえし余生を思い鰻屋へ 正邦

  (前略)

土用の丑の日に夏バテ予防に食べるのが通例だが、卒寿を過ぎての健康を念じ、鰻屋で贅沢をしたのである。鰻は夏の季語ではあるが、旬は冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、その頃は脂が載って、さらに美味になっているのだそうだ。

出目金や生涯見えぬ己が腹 馬嵐

金魚はおよそ1.500年前の中国南部、揚子江下流域で発見された赤いフナが祖先といわれている。(中略)

あはれ、天上ばかりを見る目を与えられた出目金は、自分の腹を見る機会など無いだろうが、人類にも同じように自分の背中や腹の内まで、じっくりと見る機会が無いようにも思える。

 2016年7月号より 

蛍烏賊ほろりと苦き命食ぶ 千賀子

 蛍烏賊は7a〜10a。佃煮、酢味噌和え、沖漬け、素干し、天ぷら、唐揚げ、足だけを刺身にした竜宮そうめんなどがある。古くより食されてきた食材だが、地元では決して生では食べない。生食により寄生虫症を発症し、腸閉塞、皮膚爬行症、眼球移行症などを起こすことがあるからである。もちろん、蛍烏賊にもそれぞれ命があり、蛍烏賊を食することは蛍烏賊の命を食していることになる。 

いやいやをしてめまとひの渦逃す 敏子

「めまとひ、めまわり、めたたき、糠蚊、揺蚊」など、人の顔などにまつわりつく小さな羽虫。風のない夏の夕暮れどき等に野道や河原、林などに出てくる。人の目の中へも入り込む。ハエ目ヌカカ科の昆虫の総称。体長は1ミリから3ミリほどで、一部の種類の雌は、蚊と同様に人や家畜の血を吸う。蚊よりも小さく、ひとかたまりとなって飛ぶ。刺された後、あとで腫れと痒みがくる。この嫌らしい渦巻く集団から顔を左右に振って逃れたのである。

2016年5月号より   
花菜風背ゆったりと毘沙門天 幸子

毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強まり、また正月の追儺で、無病息災の神という一面が加わる。この毘沙門天の背中に、菜の花の風が吹き込んでいる。

菜の花の誰見るもなき畦まかせ   道士

 江戸時代、見渡す限り黄色い花が一斉に咲くアブラナ畑は人々に強い印象を与え、「菜の花」と呼ばれて親しまれるようになった。ところが最近、菜の花は油を採ったり見たりするだけでなく、食べ物としての人気も高まっている。それで生産者はもっぱら菜花作りに精を出すようになり、温室やビニールハウスで育て、冬の内から競争で出荷するほどになった。(水牛歳時記から抜粋)菜種油用から食用へ。畦には種子が飛んだのであろう一本の菜の花が、誰の視線を浴びるでもなく咲いている。

 2016年3月号より  

ざっくりと麻苧で結へ泥根深   敏子

あさを(麻苧)=麻の繊維を原料として作った糸。麻糸。泥根深は泥つきねぎ。関東主流の根深ねぎで、関西は葉ねぎ。関東は白い部分を鍋にいれ、関西は青い葉の部分を刻んでうどんなどに入れる。

泥根深の収穫の場面を描写した俳句なのであろう。

菊炭の切口美しき釜始   淑子

 釜始とは初釜と同じで季語は新年である。初釜式での作法、着物、のし袋、挨拶などがウェブには細かく記載されていて、中々に面倒そうである。菊炭の名は木口に綺麗に現れる放射状の割れ目模様が菊の花を思わせることに由来する。また、樹皮もそのまま綺麗に炭化してかたちを留めていて、それが特に木口面での美しさをさらに高めていて、眺めていて退屈しない。

 2015年11月号より 

老人会月見で病話しかな 正邦 

 東京巣鴨地蔵通商店街で高齢者の会話のネタを調べている。一番は健康について、二番は思い出話、三番は故郷について。老人が集まればどこでも同じような話題になるのではないかと思われる。月見をしていても、風流よりは自分の健康が気になり、病の話に移ってしまう。やむをえないところだが、何とも侘びしい姿である。(馬嵐)

苦瓜を誉めて往診の医師帰る みすき


苦瓜は、ゴーヤー・蔓茘枝(つるれいし)とも呼ばれる。薬効があると噂されている血糖低下や食欲抑制などの効果は薄い。ゴーヤの消費量が多いはずの沖縄県での二〇一五年掲載の糖尿病死亡率は県別で男女とも二位であったことも、それを証明している。往診に来た医師は、そのことを知っているが、大きく育った苦瓜を褒めて帰ったのであろう。今どき往診に来て呉れる医師など珍しく、実に有難い存在である。(馬嵐)

2015年9月号より 
初蝉に続きて風のささやける 敏子

一九二三年(大正十二年)九月一日に起きた関東大震災では、この年の七月から八月にかけて、神奈川県川崎市一帯で蝉が全く鳴かなかったことが記録されている。同様の現象は埼玉県や伊豆半島でも見られたということである。また一七〇七年(宝永四年)の夏には、伊勢国萩原(現三重県亀山市)天災の前触れとして蝉が地上に姿を現さなかったのでは無いかと思われているのだ。初蝉が聞けて、やさしい風があって、今年は大丈夫、天下太平である。(馬嵐)

風入れて安気な暮らし古簾 淑子

 すだれは夏の風物詩である。『万葉集』には風で簾が動く様子を詠った短歌があり、簾の歴史は少なくとも奈良時代まで遡る。

集歌一〇七三  「訓読」玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)て見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも 「訳」 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りで部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。「現代」も簾を通して風を入れ、独り安気な暮しをしている。奈良時代と何も変わらぬ趣きが感じられるのである。 (馬嵐)

 2015年7月号より 

点滴に繋がるる身や初夏の窓 みすき

せっかくの気持の良い気候の初夏ではあるが、わが身は無残にも点滴に繋がれて身動きもままならない。せめても窓からの外の明りでも眺め、無聊の身を慰めているのである。ちょっとした風邪引きにも、今は健保で点滴が適用されていて、世界的にも点滴大流行の兆しが見られる。 (馬嵐)

遠望の青嶺かつては踏破せし 道士

 季語は「あおね」、夏山のこと。若い頃は歩くのはそれほど苦でも無く、今に比較すると質素な装備でありながら、あの遠くに見える嶺々を踏破したものである。その当時の仲間達は、今はどうしているのであろうか。 (馬嵐)

 2015年5月号より 
遠き日の吾が影曽孫入学す けん一   

曾孫は「ひまご」で「そうそん」とも読む。子→孫→曾孫(ひまご)→玄孫(やしゃご)の順で、孫の子供のことである。誰にでも詠める句ではなく、さすがに百歳を越えられた石本さんならではの句である。昔々自らが歩んでこられた姿を、新入学される曾孫に投影されて、感慨もひとしおなのである。(馬嵐)

涅槃絵の鬼の涙は描かれず  敏子

涅槃絵」とは、釈迦の命日に多くのお寺の堂内に掲げられる絵図のこと。釈迦は現在の暦で三月十五日が命日とされ釈迦の母・摩耶夫人(まやぶにん)は天の世界から愛するわが子の病気を治すために薬が入った袋を投げたが、その薬は木に引っ掛かって届かなかったと伝えられ、釈迦の頭上の木に引っ掛かった薬袋も描かれている。これは、釈迦を含め、どんな人もというものから逃れることはできないという、仏教の深い教えが込められたもので、多くの弟子や様々な動物が、釈迦の死を嘆き悲しんでいるのであるが、この句では、鬼だ けは嘆かず、涙は描かれて居なかったと云うのである。(馬嵐)

 2015年3月号より 
柚子一つ置きてゆたかや夕厨  千賀子

 味覚の引立て役として柚子は大活躍である。クックパッドのレシピでは、柚子が関連する料理が一万七千も紹介されている。柚子胡麻、柚子茶、柚子ジャム、などが主なものであるが、柚子大根や柚子風味の牛丼などもある。柚子ひとつを持っていれば、夕食に変化を与える調理の強い味方になるのであろう。 (馬嵐)

山眠る北アルプスの道祖神   淑子

 北アルプスは、富山県、岐阜県、長野県に跨って連なる山脈で、新潟県の部分も一部にある。飛騨山脈の通称。穂高や槍など三千bを越える頂上が十座もある。この北アルプスの峰々が眠っている。麓の村には、旅の安全を祈る道祖神が祀られていて、その道祖神と共に、凍てついた山々を眺めて居るのである。(馬嵐)

 2015年1月号より 

切り株にギター奏でる小六月  千賀子

 小六月は陰暦十月の異称。冬でありながら汗ばむ陽気のことで、「小」は接頭語で、六月の陽気に準ずる、くらいの意味である。そんな暖かい日なので、切株に座ってギターを奏でているのである。調べた訳では無いので真偽の程は保証できないが、ギターや三味線のような弦楽器は、弓矢で狩猟や闘いをしていた民族が、弓鳴りに興味を持ち、楽器を作りだしたと云われている。六弦のギターには十六世紀後半、日本の室町時代後半の頃からの古い楽譜が残っていて、その楽譜で今でも当時と同じ曲を弾くことが出来る。実に不思議で優雅な境地なのである。(馬嵐)

朝寒や十年一日水仕なり  淑子

  水仕とは御厨子(みずし)」から転じて水仕事や台所仕事をすることを指す。昔は水道も完備されておらず、近くの井戸や水場から水を汲んで来て、台所の甕に貯めて置き、それで水仕事をした。杉田久女にも、水仕の俳句がある。「夕顔に水仕もすみてたゝずめり」寒い朝には、そんな水仕を十年一日のごとく続けていた、辛かった日々を懐かしく思い出すのである。(馬嵐)

2014年11月号より 

戎衣して経し遠き日や天の川   けん一

戎衣(じゅうい)とは、軍服を着ること又は武装することである。(出典=書経)第二次世界大戦の頃のことであろう。戎衣した、そんな日々は遠い過去になったが、今も厳然と微動だにせず、天の川は頭上に瞬いているのである。変化と言えば都市部での照明が明るくなり過ぎ「ざくざくと鳴るかに近し天の川 渡辺水巴」という素晴らしい銀河は、場所によっては過去の話で、もう見られなくなってしまったのである。 (馬嵐)

 平城山の墳墓の里に秋耕す  ちぐさ 

  奈良市と京都府木津川市との県境を東西に延びる丘陵を平城山(ならやま)と言い、瓦谷1号墳、西山塚古墳など七つの古墳群が、この丘陵地帯にある。JR大和路線の平城山と云う駅が有り、住宅地も開発され新しい街と古墳の調和が取りざたされている。この歴史ある古墳の里の秋に、鋤や鍬で畑を耕している、のどかな風景である。 (馬嵐)

2014年9月号より 

些かの充足にあり穴子めし  豊子

 七月五日が、あなごの日。七と五の上に・あ・の字を乗せれば、苦し紛れではあるが、穴子の語呂合わせになる。もちろん、夏の季語。関東では穴子は煮物として食べるが、関西は焼く。焼いた穴子をご飯の上に乗せ、たれを掛けたのが穴子めしで、明石や赤穂、宮島などが有名である。穴子は鰻と違って、海に生まれ海に育つ。鰻と比較されることが多いが、今高値の鰻とは似て非なるものである。その違いが「いささかの充足」の言葉に明確に表現されているのである。(馬嵐)

思い出は天神祭の飴細工   春子

 なつかしい飴細工である。昔の日本の飴作りの職人は一人前とされる基準として、一日に一斗缶二缶分の水飴を加工して売り物の飴玉にしなければならず、その重労働ができなくなると、飴の造形技術を磨き、売り上げを稼いだといわれている。これを紙芝居やキセルの修理屋などのほかの商売の客寄せとして行うこともあれば、職人芸を見世物として独立させ、客の要望によって切り絵のようにその場で動物や花などを仕上げ、楽しませて作品を売る商売となった。天神祭の屋台の出店には、そのような飴細工職人も多数居たのである。(馬嵐)

 2014年7月号より

尺八に魂揺れる初夏の宴    正邦

 首振り三年ころ八年と云う。尺八を吹くのに、首を振って音の加減ができるようになるのに三年、さらに細かい指の動きによってころころというよい音が出るように なるには八年かかるということで、つまりは人様に聞いて頂けるようになるだけで、少なくとも十一年の修行が必要である。初夏の宴に登場して尺八の演奏で魂をゆさぶるほどの練達の士は、さらに、それ以上の修行をして来た人なのであろう。(馬嵐)

降りしらみ木の芽おこしの雨となる 千賀子

 しらむを古語辞典で調べると@白くなる、明るくなるA衰える、弱まるとある。この句の場合は、多分Aの弱まるでは無いかと思う。木の芽は春の季語であるが、俳句一般では「木の芽雨」と使われ、「木の芽おこしの雨」と使われるのは珍しい。句意は、雨勢が弱まり、木の芽を起すような雨となった、であろうか。(馬嵐)

七宝の花瓶に適ふ大牡丹     道士

七宝焼とは、金属の表面に色とりどりのガラス質の釉薬をのせて焼き付けたもの。花瓶の七宝は銅板の花瓶形の素地に乳白色の釉薬を焼き付けその上に絵を画く。釉薬をつけては焼成する作業を三回程度繰り返し、透明感のある高価な花瓶となる。そんな花瓶に匹敵するほどの、立派な大牡丹である。(馬嵐)

2014年5月号より

古写真いづこの海の潮干狩  豊子

古いアルバムを見ていたら、茶色に変色した潮干狩の写真が出て来た。写っているのは確かに私だが、何時ごろ何処の浜辺で写されたものか全く記憶にない。また大事に仕舞い込むことだ。(道士)

囀の拠点なりしか茶臼山  敏子

茶臼山は、大阪市内でも最大の前方後円墳だが、五世紀に造られ被葬者は不明である。慶長十九年(一六一四年)の大坂冬の陣では一帯が徳川家康の本陣となり、翌慶長二十年(一六一五年)の大坂夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。多彩な歴史のある場所だが、今は鳥のさえずりで賑わっているのである。(馬嵐)

古里に蜃気楼浮く海のあり  春子

蜃気楼は春の季語。富山県魚津市が有名だが、北海道や琵琶湖の北湖でも観察されている。元々は中国の『史記』天官書の中に、蜃気楼の語源ともなる大蛤(はまぐり)=「蜃」の気(吐き出す息)によって、楼(高い建物)が形づくられるという記述があり、現在も海上の異常な光学現象を、そのように呼ぶ。詠者の故郷の海には、現在もそのような現象が見られ、それを誇らしく思っているのであろう。(馬嵐)

2014年3月号より 
我が事と覚えず百の年迎ふ けん一
 ちなみに百歳の祝いは、上寿、紀寿と云い百歳を超えると仙寿と云う。望んでなれるものではなく、努力して得られるものでも無いが、他人事のように、ごく自然に百歳の年を迎えられたのである。誠にお目出度いことであり、脈の読者ひとりひとりもあやかりたいものである。(馬嵐)

聞き流すことも世渡り日向ぼこ   菊子

  漱石の「草枕」の冒頭に、智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とある。つまりは聞き流しておけばカドも波風も立たないと云うのである。そのような生き方は、人によっては辛い事であるが、意地を通せば窮屈なので、日向ぼこでもして我慢我慢である。人の世は、かくも住みにくいものである。(馬嵐)

駅おりてああ古里や寒椿   春子

  駅のホームに下り立った瞬間「ああ古里に帰ってきた」との思いで胸を打たれた経験を持った人は多いだろう。寒椿が迎えてくれるような鄙びた駅ならば一入その感が深いと思われる。(道士)

2014年1月号より 
 同じ肌の異国語寒し宗衛門町  亮子      

 心斎橋や黒門市場などで中国や韓国の人と行き合うことが多い。一寸見ただけでは分からず、会話を聞いて日本人ではないんだと知ることになる。目に見えぬ壁を感じてうそ寒く思うのである。(道士)

実むらさき咲くや平家のかくれ谷   美幸

厳しい頼朝の探索を逃れ、平家の落人が隠れたと言われる里は、全国各地に点在する。近畿では奈良県吉野郡の野泊川村や十津川村五百瀬が比較的近い場所で有名ではあるが、そのような谷に平家の気位を象徴するような、紫紺のムラサキシキブが咲いていたのである。(馬嵐)

くわりんの実風の誘ひに乗りきれず   ちぐさ

 花梨の実の表面がでこぼこしているので、いびつな頭の事を揶揄して花梨頭と云う。果実は固く酸っぱく渋くて、とてもそのまま食せるものでは無い。せっかくのお誘いではあるが、風の誘いにも乗り切れずお断りしているのだ(馬嵐)

 
2013年11月号より

侵入をしふねく挑む網戸の蚊  豊子

 「しふねし」とは執念深い。しつこい。執着心が強い。のことで、出典は源氏物語の葵である。(学研全訳古語辞典から)句意は、網戸の蚊はしぶとく侵入を挑んでいる、であろうか。流石は老練な句の、難しい古語である。(馬嵐)

病棟のカーテン引かぬ良夜かな  一志   

月の光が煌々と溢れる良夜である。小さな病院の病棟の窓々のカーテンは、誰かが開いたままで、入院患者のためにこの神秘的な青い光をそれぞれの病室に取り入れている。(馬嵐)

けふ日射しやさしくなりて小鳥来る  敏子   

今年は気候の変化が激しかった。本当に秋らしい日があったかと思うくらい。けれど小鳥たちは敏感に秋を感じ取っている。少し柔らかく秋らしくなった日射しを楽しむように歌っている。(道士)

2013年9月号より

空蝉や過去は地底に捨てて来て  馬嵐     

幹にしがみついている空蝉には土が付いている。地中七年地上七日と言ふ蝉の生涯。空蝉についている土は長かった地底での生活をさっぱりと捨てて来た名残なのである。(道士)

夏座敷余生に用なきもの展げ   亮子     

虫干しの品々を座敷一杯に拡げている。それぞれに思い入れのある品物だが、今後使う当てがあるかと問はれれば、まず使うことはあるまいと思うものばかりである。(道士)

お土産は色も賑やか祭寿司  ちぐさ

寿司が夏の季語。祭すしは、岡山の名産だと思っていたが、よく調べて見ると全国各地にあり、この句の寿司がどこの土産なのかは不明。寿司めしに海の幸山の幸を色鮮やかに盛りつけたものを、祭すしの名前で売っているのである。(馬嵐)

2013年7月号より

壇の浦血のいろをのせ蟹あゆむ 正邦

 長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)は平家の滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦場である。激しい戦いで多くの矢が水手に射かけられ、操船の自由を失った軍船から、平氏一門が次々と入水した。この時、幼くして亡くなった安徳天皇は、海峡を望む下関の赤間神宮に祀られている。この戦いは1185年4月25日のことであるが、現在も赤い甲羅の蟹が、この海峡を歩んでいるのである。(馬嵐)

久びさのピロシキの香や花は葉に 豊子

 ピロシキとは、ロシアの惣菜パンで、元々はオーブンで焼かれていたものであるが、日本では油で揚げたものが主流である。久しぶりにピロシキの香りがして、気が付けばもう葉桜の季節になってしまっている。寒いロシアの国のピロシキから、日本の葉桜へ繋ぐ、初夏の句である。(馬嵐)

ほほかぶりしても茶摘女地獄耳  美幸      

頬かぶりしている茶摘女。見ることのできない素顔を後ろ姿からあれこれ想像して、きっと美女だろうと噂をしていたら、振り向いた茶摘み女がにやりと笑った。ちゃんと聞いていたらしい。(道士)

2013年5月号より
春眠やきれぎれの夢つながりて  千賀子

目覚めのはっきりしない春眠を繰り返していると、夢の続きを見ていることがある。但し美味しいものを食べようとしている夢の続きは決して見られないようだ。(道士)

裏山という名の山の寒椿  美幸

どの山にも名前の一つはあるだろうが、家の近くの低い山をみんなは裏山と呼んでいる。その裏山にも寒椿が咲いて、いよいよ春が近いことを感じさせて呉れている。(馬嵐)

盆梅展小径の奥の古い寺  ちぐさ

 春先にはあちこちで盆梅展が開かれる。自然の梅が好きな人には物足りないかも知れないが、盆梅好きの人には応えられない。自然の梅よりも一足早く、丹精込めたふくよかな花と枝ぶりが見られて、たとえ小径の奥の古寺であろうが、せっせと見に行くのである。(馬嵐) 

2013年3月号より

仮の世を今日迄生きて初詣   菊子

  仮の世とは、無常なこの世。はかない現世。うきよ。のことである。(三省堂 大辞林) 特に健康問題に悩み、自分の身体のことですら、自分の思うように成らなくなったとき、人は仮の世を感じると云われる。そんな浮世を生きて来て、今日は又、初詣に出かけるのである。「生老病死(しょうろうびょうし)」の四苦を免れ、ことしもよい年でありますようにと、神に祈るのである。(馬嵐)

単線の行き交う駅の冬菜畑  千賀子

 単線の列車は擦違いのために、駅に停車する時間が長い。その単線の駅の構内には、冬菜が植えられている。駅員が作ったのか、近所の人が耕したのか、ささやかな駅のささやかな畑で、丹精の冬菜が風に揺れている。(馬嵐)

妙薬の如干されあり大根葉    敏子

 漢方薬では野草を取ってきて陰干しにしたりする。どくだみ(十薬)などはその例。軒に吊るされている草を見て生薬だろうかと近付くと何と大根の葉だったという驚きとおかしさ。(正邦) 

2013年1月号より

手を添ふるだけの挨拶冬帽子  けん一

 冬帽子に、ちょっと手を添えるだけで挨拶が成立する。敬礼ほどの重いもので無く、と言って礼を失するほどの軽いものでも無い。喋らなくても簡便に挨拶が終わってしまう。誰が考え付いたのか、先人の知恵のひとつなのだろう。(馬嵐)

愚直にも返りたんぽぽ黄を極む   亮子

 冬に咲いてしまった蒲公英であるが、己が使命を忘れずに、美しい黄色の花を咲かせている。不遇に生きて美しさを失わない、そんな人達の姿と重なって、この愚直さが不憫に思われるのである。(馬嵐)

染めあげて山は眠りの仕度かな  ちぐさ

 山の変化を見事に詠いあげてをり、秋深まり木々の紅葉する様を「染めあげて」とし、初冬に入り霜や時雨で落葉が始まる頃を「眠りの仕度」と表現され、「山眠る」に至る様子が鮮明に伺われる心地良い句である。(正邦)

2012年11月号より

天瓜粉嬰児なべて三頭身   菊子

生まれたばかりの嬰は可愛いけれど頭が大きくて手足が短い。だから三頭身。天瓜粉にまぶされてニコニコしている。大きくなれば男ならイケメンに、女なら八頭身美女に育つであろうことを夢見ながらあやしている。(道士)

交番の眠らぬ夜を鉦叩き  千賀子

夜勤の交番勤務はおちおち眠る暇とてないであろう。相手をする人とてない秋の夜長を夜通し付き合ってくれるのは、土間の片隅で鳴き明かす鉦叩きだけである。(道士)

黒みつはいや白みつがすき心太 美幸

 これほど自分の好みをストレートに詠っている俳句は珍しいだろう。理屈も何も無い。そこには好きと嫌いがあるだけである。(馬嵐) 

2012年9月号より
蛇の目傘さして母ゆくさなぶりに  菊子

  現在の田植えは機械化し、あっという間に植えて行く情緒のないものだが、昭和の時代は親戚などが寄り集まって田植をし、終ったら手伝ってくれた人を招いてご馳走するのが常だった。作者の母御も和服に蛇の目傘で行かれたのだろう。母の姿が思い出として浮かんでくる懐かしい句。 (正邦)

涼風の只中に出る屋形船  ちぐさ

 四万十川の句が前に二句並んでいるので、この句も四万十川の風景であろう。日本最後の清流と言われる四万十川には、いくつかの遊覧船の乗り場があり、心地良い涼風の中で皿鉢料理や舟料理などを食べさせて呉れる。 (馬嵐)

西施てふ顔容なくて雨の合歓  道士

「象潟や雨に西施がねぶの花」【奥の細道】この句は、元禄二年に秋田県の象潟〔きさかた〕で芭蕉が創ったもの。芭蕉は当時は湾であった象潟に舟を浮かべて、中国の西湖に思いをはせ、西湖で西施が入水した悲運を偲び、象潟の島々の梅雨に濡れた合歓の花は悲運の美女、西施が眠っているように美しいと詠ったと言われる象潟は、その後の文化元年の大地震で水が涸れてしまい田圃に変り果てた。従って、現在ただ雨に濡れる合歓の花を見ただけで、西施を偲ぶ事は難しいのである。 (馬嵐)

2012年7月号より
此岸より彼岸へ桜吹雪かな  とら

 普通なら桜が散って地面に到達して花の屑となれば、それで一件の落着であるが、この作家はそうは行かない。そこから先の世界があるのである。その先の世界とは彼岸である。地面に到達した桜は、さらに彼岸に向かい、その彼岸を桜吹雪にしてしまう。彼岸の世界も又、何と美しき景色であろうことか。(馬嵐)

朽ち舟の中より凛と蘆の角  菊子 

 岸辺に打ち捨てられた木造舟は、朽ちて大自然へと還ってゆこうとしている。その朽ち舟の中から蘆の角が凛と立ち上っている。蘆は湿地に生えて水を浄化するという。朽ちて行くもの、浄化するものの輪廻が、この川岸にも見られるのである。(馬嵐)

一匹の姿のまんま穴子鮨  春子   

成る程穴子の棒鮨には頭も尻尾も付いてくる。誰も気がつかないことに気づいた時は即、句にしないと憶えて居られないことがままある。頭も尾も一緒に握られた穴子鮨の顔を思っておかしい。春子さんらしい諧謔と言えよう。(とら)

2012年5月号より

東風吹くや陵多き太子町  正邦

  太子町は聖徳太子の御廟のあるところで、その他に敏達・用明・推古・孝徳天皇陵などがあって、近つ飛鳥とも言われている。東風を詠んだ菅原道真の歌が有名なので、東風と言えば道真を思うが、この場合あまり違和感がなく聖徳太子ゆかりの地名に説得力がある。梅も咲いていることだろう。(とら)

鴎外の名付けし坂の春の雪  貞子

鴎外が名付けたと言われる根津近辺の坂道、明治の文豪がゆったりと散歩していたと思うと隔世の感があるが、それでも一度は見て歩く価値があると言えよう。 (とら)

駅弁に一箸程の木の芽和  一志

駅弁を開いて見ると、箸で一つまみほどだが木の芽和が入っていて、この季節の便りが心に染みるのである。駅弁は、汽車の窓からは買えなくなり、駅の売店か、車内販売か、又はデパートの特売場で買うかで、情緒の薄いものに成ってしまった。その分、木の芽和などの小さな心くばりが矢鱈に嬉しいのである。(馬嵐)

2012年3月号より

年くるる良き句を一つ残したや  正邦

 俳人すべての、願いであろう。今年も終わろうとしているが、自分の気に入った句はまだ出来ていない。せめて一句だけでも、後世に残るような句を作りたいものだが、それも叶わず年が暮れて行こうとしている。 (馬嵐)

夢の世とうそぶく塀の寒鴉  とら

 鴉の寿命は二十年から三十年位だと云われている。そんな鴉が塀の上から、悪魔のような顔をして、この世は夢の世だなどとうそぶくと、ちょっと本当かなと思ってしまう。しかし良く考えると、人間ならば二十歳から三十歳はまだ青二才である。そんな言葉は信じるに足りないのだ。 (馬嵐)

夕陽受く花三椏の濃く匂ふ      千賀子

三つに分かれた細い枝先に咲く黄色い三椏の花は早春の空によく映える。さらに沈丁花科らしく仄かな芳香を持ち手漉き和紙の主原料でもある。紅の夕陽を受けてとろりと濃縮された花の香りが季節の深まりを思わせて佳。 (とら)

2012年1月号より

小腹足す小春のベンチ鳩くくく  亮 子

 小春日和の公園であろうか。ベンチに腰掛けてちょっとしたおやつを食べていると、鳩が鳴いたという日常の断片をくくくという擬声語でおもしろく表している。くくにもう一つくを付けるとおもしろい作品が出来ました。(とら)

冬帽子高く掲げて遠会釈  けん一

 ご高齢のおじいさん、しかも遠会釈をするのは大抵お年寄りが多い。遠会釈どころか近会釈もしない人たちにこの屈託の無さを学んで欲しい。 (とら)

暮れ残る野菊の白や地蔵堂  道 士

 黄昏れて白い色が目立つような時刻である。地蔵堂に供えられた野菊の花が、風に揺れている。静かな村の夕景である。 (馬嵐)

2011年11月号より

花木槿逢ひたき人のひとりあり  菊 子

  ハナムクゲと読む。槿花(キンカ)一日の栄または、槿花一朝の夢という譬えがあって、むくげの花が朝開いて夕方にしぼむことから、はかない栄華のたとえに使われている。この句は、この栄華の譬を枕にして、逢いたい人が一人いるよと云っている。良き頃を偲ぶ、深い句なのである。  (馬嵐)

饒舌も時に疎まし人の秋  亮 子

 寂しい時は人の声が懐かしいが、それにも限度がある。ひとたび口が開くと機関銃のように止まらない人が居て、それはそれで本人のストレスの解消になっているのだろうが、聞いている人には、ストレスの蓄積になってしまう。それでも、離れているとその饒舌が又、懐かしいのだ。  (馬嵐) 

売られ行く牛をはなれず赤とんぼ  美 幸

  なんとも哀れとしか言いようのない場面。牛に生まれていづれこの日が来ることは決まっていたが、赤とんぼはまるで別れを惜しむかのようにいっかな離れない。牛も哀れ赤とんぼも哀れ。そんな赤とんぼは美幸さんかもしれない。  (とら) 

2011年09月号より

 葉表に出で放心の蝸牛  亮 子

  放心の蝸牛が面白い。葉裏を必死に歩んできてやっとたどり着いたと思えば、なんのことはない一枚の葉の表裏をぐるぐる回っただけだったことに気づき放心している。これは蝸牛だけのことではないと作者は言っているのかもしれない。  (とら)

 山峡の三戸灯りて梅雨深し  美 幸 

 「さんきょう」と読む方が後に続く「三戸」と音が並び美しい。梅雨深しの表現も面白く、ほの暗い過疎の谷間の村落が偲ばれる。佳句。  (馬嵐) 

 ジャズメンの皆んな白髪朱夏の街  敏 子

 平尾昌晃やミッキーカーチス、カマヤツヒロシがそれぞれ昭和十二・十三・十四年生まれで、かつてのジャズメンは全員七十歳を越えた。内田裕也も七十二歳だ。白髪になっても演奏活動が出来るのは音楽家と云う職業の素晴らしい一面であろう。とは言え、作者は、白髪の「白」に朱夏の「朱」を絡ませたが、白髪ともなれば夏の街頭での演奏活動は厳しすぎて、誠に辛いものなのである。  (馬嵐)
2011年07月号より

 風光る志功の美女のふくらはぎ  菊子

  「大和し美はし」で国画展にデビューした板(版)画家、棟方志功は好んでふっくらとした大和美人を彫った。大和美人は丸顔でそのふくらはぎも丸々と太目なので、春風も驚いて光っているのであろう。(馬嵐)

 天地に散るより他になき桜  とら

 誠にその通りで、桜のみならず地上の万物は、最終的には天地に散る以外に方法は無いのである。それは恐ろしい、厳然たる真理である。(馬嵐)

 老鶯の手練れ小節や木曽の宿   馬嵐

  老鶯の見事な鳴きっぷりを手練れ小節と表現している。小節のきかない演歌や民謡も野暮ったい。小節できまるのである。そういえばどこからか小節のきいた正調木曽節が聞こえて来たようだ。(とら)

2011年05月号より
 それなりに元気ですてふ賀状くる  豊子

元先生だった人の話にこれに似たのがあった。ウエイトレスが注文のジュースを客に出すとき「ジュースでよろしかったでしょうか。」このいい方は既に蔓延している。支持者が多くなると、数の原理でそちらが正しくなる。言葉は世に連れ世は言葉に連れだろう。(とら)

 九十才十九の春を偲びける  千代子

 九十と十九の年齢の並びと、年月の開きが美しい。箸が転んでも可笑しいのが十代の後半、花も恥じらうのが十八才。その頃は楽しいことばかりである。田端義夫が1975年(昭和五十年)今から36年前に全国的にヒットさせた歌が「十九の春」であり、それなりに良き時代であった。卆壽おめでとうございます。ますますお元気で。(馬嵐)

 億劫が背中に乗りし老の春  正邦

 「よるとしや桜のさくも小うるさき」これは、一茶が四十八歳の時に詠んだ句である。自らの老境を何もかも面倒だと云うのである。作者も、春なのに何をするのも億劫で、その億劫が背中に乗っていて、それで自分の老を感じていると詠んでいる。一茶と違うのは、人生五十年と云われた江戸時代と、長寿の現代との、時代の差であろう。(馬嵐)
2011年03月号より
 寒の水一滴にしてラガー起つ けん一

 昔のラグビーの試合では、薬缶の水は魔法の水と云われた。誰かが脳震盪でも起こそうなら、マネージャーが倒れている選手のジャージィを持ち上げ、臍へ向かって薬缶の水を掛けるのである。すると不思議や、倒れていた選手は再び走り出したのだ。科学的な根拠は分からないが、今でもペットボトルに水を入れて、同じようにやっている。(馬嵐)
絆なほ冬の銀河の距離に父母  正邦 

 光り輝く冬の銀河。その広大な広がりは十万光年とも云われ、その中に父母が居る。健在の頃には気付かなかったけれど、そんなに遠く離れていても、父母との絆は今も尚、強いのだ。(馬嵐)

水仙の島に昭和の巡幸碑   亮子

 内海に浮かぶ小さな島に波がひねもすその裾を濡らす崖があり、日溜まりには水仙が群れ咲いている。ずっと平和であったようなこの島にも先の戦争の哀しい記憶があり、今はその裏書きの如き巡幸碑も水仙の香りに包まれている。(とら)

2011年01月号より

寂しさや白山茶花の咲き盛り  けん一  

 寂しさやが効いている。白山茶花のありようが作者の思いをにじませている。作者の寂しさが読者の胸に迫る句である。(とら)

鳥渡る痩せ包丁を研ぎをれば   菊子   

 痩せ包丁というのは作者の造語であろうか。意味はよく分かる。包丁を研ぐという仕種は主婦ならばだれでも経験があるのだが、そのとき渡り鳥が目に入ってきたのはそうあることではない。良い場面にあわれたことである。(とら)

秋深し山の湯宿は無人駅    千代子

 昨今の温泉ブームに乗った宿ではなく山のひなびた湯治宿のようなところへ行き着くのもローカル線の無人駅の場面が思われる。無人駅の湯宿とはどこだろう。行ってみたいものだ。(とら)

久闊の話の接ぎ穂赤のまま  豊子

 久しぶりの人なので、時候の挨拶を交わしてしまうと、もう喋ることが無い。それで道端の赤のままを持ち出して話題を探っている。話の接ぎ穂と云ったところが、さすがの経験の深さである。(馬嵐)

落ち鮎が三途の川の淵どまり  正邦

 落ち鮎とは産卵のためや又は既に産卵を終えて、川を下る鮎のことである。食餌も獲らず、あとは死を待つばかりであるが、その鮎が集まって川の淵にとどまっているのだ。(馬嵐)

2010年11月号より

仏ともならず糸瓜の水を採る  けん一  

 糸瓜から水を採ろうとすると、正岡子規の辞世の句を思いだすのである。
糸瓜咲てのつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」。作者は仏にもならず活き活きと、糸瓜の水を採っているのだ。(馬嵐)

身に入むや鴎内地を差して飛ぶ   貞子   

 秋の北海道では、風が冷たく感じられる。ましてや、此の旅は思い出を辿る旅でもある。鴎が本州の方へ向かって飛ぶのは決して珍しくは無いが、それを見るだけでも、しみじみとした気持ちになるのである。(馬嵐)

結界の橋身の巾に水澄めり    亮子

 寺域の境目となる橋を渡ると、足下に小さな川があり、清冽な水が流れている。現世と浄土は、案外にこのような身の巾ほどの小さな区画で区切られているのかも知れない。(馬嵐)

大根蒔く老僧腰を擦りつつ   正邦

 揚句、ありふれた光景を詠んでいながら類句類想の大海に沈んでいないのは大根、老僧、辛い労働という日本人のノスタルジーを呼び覚ます道具立てがあるからといえる。ミレーの絵や、谷内六郎の田園風景の表紙絵は今も根強い人気を保っている。(とら)
新しく姑の写真や盆支度   道士

 この句も写真にまつわる句である。内容はいうまでもないがお母上がみまかられたこと。俳句はここからどれだけ削っていくかが勝負。揚句はそのお手本といえましょう。読者がどんな鑑賞をしてくれるか、これも楽しみです。(とら)
2010年9月号より

明けの蝉中に嗄れし声も居て 千代子

 夜明けの蝉の中にしわがれた声の蝉が混じっていたというのである。嗄(シャ)とは口+夏で季語とも響き合う漢字なのだが、口の中が夏のように水不足なので、かすれ声と云う意味なのである。しかし蝉は口では鳴いていない。面白い俳句である。(馬嵐)

海鳴りは子守唄なり合歓の花  亮 子

 海辺で生まれ育った人には、あのおどろおどろしい海鳴りも、子守唄なのであろう。まつ毛のように繊細な合歓の花弁が、海鳴りの音で細かく震えている姿が見えてくる。蒼い海と白い波頭と、真っ赤な合歓の花の組み合わせが美しい。
(馬嵐)

夏空や人恋すれば雲走る   美 幸

 夏空を見ていると、何とはなく人に会いたい。そんな時、雲が走ったのである。「人恋ふは悲しきものと平城山に、もとほりき(徘徊し)つつ耐え難かりき」と唄う北見志保子作詞の「平城山」(ならやま)の歌を思い起こさせる。心に残る俳句である。
(馬嵐)

立膝で爪切ってゐる桜桃忌  と ら

 桜桃忌とは、太宰治の満三十八歳の六月十九日の忌日である。作風は「斜陽」「人間失格」など、諧謔的、破滅的なイメージで、立膝で爪を切ってゐる女性の姿にぴったりなのである。もし男性の立膝であるならば、俳句にも棒にも架からないだろう。(馬嵐)

浮雲のぽかりぽかりと夏の海   春 子

 一幅の絵画を見るような俳句である。まだギラギラとしていない、初夏の青い海なのであろう。真っ白な雲が空に浮かんで、のんびりと漂っているのだ。(馬嵐)

2010年7月号より

川蒸気音残し行く朧月   けん一

 川蒸気とは、昭和三十七年頃まで航行の、蒸気機関で進む川船である。ほの暗い朧月夜の川面を悠々と、石炭の匂いと蒸気機関の音を残しながら巨体が進んで行ったのである。それは、もう五十年も以前の景色である。(馬嵐)

花に来て啜る御薄や志野擬き  晃秋

 
花見茶店の床几席であろうか。白く分厚い茶碗は、あたかも志野茶碗の如く見えるが、釉薬だけを志野風にした安物の、もどき茶碗なのである。(馬嵐)

大根の花や少女も老い易く  とら

 大根の花が咲けば、大根そのものに斑が入ってしまう事を前提とした「少年老い易く」のパロディである。まこと、少年も少女も老い易く学なり難く、ましてや、すでに斑の入ってしまった少女には、一刻たりとも無駄には出来ないのだ。(馬嵐)

マニキュアの爪の如くにチューリップ    馬嵐

 なんというすばらしい感性でしょう。天然の美としてのチューリップと人工の美のマニキュアの爪。どちらが美しいかと考えることはナンセンス。そういえば近頃は能ある鷹は爪を隠さずマニキュアするらしい。(とら)
生醤油を豆腐にかけて夕薄暑        春子

 老夫婦のつつましいけれども決して貧しくはない夕食。小津の映画を彷彿とさせる。(とら)
2010年5月号より

無縁塚にも手を合せ彼岸寺   けん一

 先日もラジオで聞いた話、墓地を持たないで、自然葬、樹木葬などと話していた。若者が都会に出たまゝ地方の家は廃屋、墓は放ったまゝ、当然のように無縁塚が増えていく。それでも奇特なお方は香を手向け手を合わせて下さる。(貞子)

蔀戸を開け方丈の冴返る   亮 子

 方丈とは、一丈四方、現在の四畳半の広さで長老の居室、又応接間として使われる部屋を指す。神社、仏閣などには今も残る蔀戸、開けると、寒気が隅々まで行きわたる。聖者の荘厳さと静寂を共鳴して頂いた一句。(貞子)

人も待つ鳥も獣も春を待つ  菊 子

 春を待つのは人間だけではないようだ。鳥は水が好きなようで、氷が張っていて冬は水が飲めない、水浴びも寒いので敬遠かな。毛皮を着込んでいる獣さえも春が待ち遠しいと、吠え立てる。そうそう獣は素足なのだから春が待ち遠しいのだろう。(貞子)

鹿肉に弾の穴あり薬喰ひ      と  ら

その筋から委託された猟友会のメンバーが農作物を荒らす野生の鹿を撃ったその肉が市販されて特に冬期の栄養強壮食として鍋料理などにして食べるのですが、その肉の一片に弾の跡があったというのは、鹿の肉は牛肉などと違って、狩猟によって得たものだからでしょうか。(けん一)

丹精を褒めて小菊を賜りぬ     たつ子

 近所の御主人が趣味で毎年菊作りをしているのでしょう。今年も見事な大輪を咲かせたのを褒めて上げると、お好きならと小菊の一鉢を下さったのです。御近所付き合いの一齣です。(けん一)

2010年3月号より
肩上げて歩く無頼の寒鴉  菊子

 この頃鴉が増えた。ゴミ回収の日などうるさく鳴き騒いでいる。中でも嘴太鴉と云う種類の鴉は見るからに憎たらしい恰好で肩を怒らせているように見える。無頼の表現がぴったり。ぼつぼつ退治しないと事故が起こるのではないかと思う程。 (道士)
木枯の声が気になる老独り  千代子

 老人の一人暮しは夜が心細い。木枯の猛る夜は尚更である。雨戸を揺すり、戸外の何かを吹き倒し大きな音を立てる。古い家だと家霊がこれに和して不気味である。何も無いはずと思いつつ、炬燵を出てあちこち見て回ったりする。 (道士) 

木枯しの海へ重ねし屋根の数   正邦 

傾斜した土地に、家の屋根が犇めいている。漁村を上から見下ろすと、この様な風景になるのであろう。傾斜の先の広々とした海には、木枯しが吹いている。細い路地と広い海、寒々とした風景である。(馬嵐)

六甲のめぐみと大根干して居り 喜代子 

六甲のめぐみとは、六甲おろしのことであろう。この冷風で、大根の水分をしっかりと抜き、美味しい干大根を作るのである。(馬嵐)

旅の夜の炉端あかりに古式銃  晃秋 

炉端あかりで古式銃を拝見できるなど、仲々に得難い旅なのである。元々は地方豪族の家であったのか、猟師の家であったのか、古めかしい昔風の旅館を想像させる。(馬嵐)

2010年1月号より
水団を知らぬ子ばかり豊の秋  けん一

 我々は戦後の食糧難の大変な時代に育ったが、その時食べた水団(すいとん)が懐かしく思われる。(略)現在の子供達は恵まれている。この句で苦しかった我々の子供の頃が思い出され、激しい心の痛みや、生活の苦しかった日々が目に浮かんでくるようだ。 (正邦)
塩鮭の大口開けて不惑なり  とら

 (略)この句の塩鮭も「大口開けて不惑なり」とし、全ての苦難を乗り切った安らかな死であり、大往生だとしている。人間も同じで、仏教の教えに「成仏得脱」とあり、仏となり、煩悩、生死などすべての緊縛を解脱することが出来たらという願望も伺える句である。 (正邦) 
一番に好きと指折る桔梗かな  豊子

 (略)秋は多くの花を咲かすけれど作者も桔梗が一番好きだといゝ切っている。季節のうつろい、時の流れの中の代表として桔梗をあげ、季節への思いだけでなく、人生への思いもこめられ、日常の落ち着いたやすらぎをこの花を通して伝えている句である。 (正邦)
秋遍路浪音だけの砂の径  美幸

あちらこちらに散らばる札所寺を遍路する人々はそれぞれの喜怒哀楽を脊負って歩く。海に近い小径をゆくときは足跡すらも直ぐ波や砂に消されてしまう。季節は恰も秋、無情の想いがさらにつのる。閑話休題、四国八十八ヶ所とすると、さて径の景は高知か徳島か、私は高知という気がする。 (とら)
朝露の玉それぞれに山の色  馬嵐

至る所に結んだ朝露の玉ひとつひとつに里山の色付きを見る。朝露の転がる音が聞こえそうなくらい、静かな暮らし贅沢なくらしというべきか。 (とら) 
2009年11月号より
種瓜の太り過ぎたり寝てござる  正邦

 来年の種を採るために残しておいた瓜が大きくて地表に転がっている様を「太り過ぎたり寝てござる」と剽軽な語調で詠い上げました。何でもない有様ですが、このように詠われると立派な画材になります。 (けん一)
省けるを省いて暑さやり過ごす  菊子

 この句は身の回りの物を出来るだけ除いてさっぱりとして暑さを凌いだとも、或いは雑事は出来る限り省いて暑さを避けたとも読みとれますが、いずれにしても万事簡素化が暑さを避けるのに効果が有りそうです。 (けん一) 
あてもなく汽車に乗りたし夜の秋  千代子

 昼間は時々残暑を感じますが、さすがに夜は秋の気配が忍び寄ってきて、何とも言えぬ感傷に浸ることもあります。そんな時、当てもなく汽車に乗って遠い所へ行ってみたい気持に誘われるという作者に共感を覚えます。 (けん一)
夏の月待つや墨絵のような瀬戸  晃秋

大小の三千の島が散在している瀬戸の内海。夏の月天界に座せば、筆舌尽し難しの景となる。十七文字の妙味。 (貞子)
水中花だまされ上手になりもして  とら

水中花の泡が忘れた頃にプーカプカ。まるで人の心を試すように浮かんでは消える。騙されないぞと肩肘張った若い頃、騙されたふりをしている自分に気付いている自分。 (貞子) 
2009年9月号より
清流に触れむばかりに貴船川床  けん一

 鴨川では川岸に床を張り出し「納涼床」(ゆか)と呼ぶ。一方、貴船では川の上に直接床を設え「川床」(かわどこ)と呼ぶ。したがって、同じ川床と言う字を使いながらも、それぞれの風情は全く異なるのである。貴船川床(きぶねゆか)はそれ自体で独立した季語であり、この句のように、激しい清流が足元を洗わんばかりなのである。(馬嵐)
山又山その奥山の滴れり    貞子

 美濃の国の、畳なずく山又山のその向うの奥山が、みずみずしいと詠っている。この滴りは、水が滴っていることでは無く、山のみずみずしさなのであろう。(馬嵐)
子羊となり龍となり夏の雲   道士

 従順なるものの象徴の子羊であり、荒々しきものの象徴の龍である。その二者が紺碧の夏空に、白雲となり混在している。そのどちらもが刻々と変化を続け、とどまる所を知らない。流転の坩堝なのである。(馬嵐)
梅雨長し鳩籠り鳴く大欅   千代子

長梅雨に鳩もうんざりしているのだろう。大欅に止まって鳴き交している。鳩の声はもともと明るいものではないが、くぐもった声は梅雨湿りによくあっている。(道士)
行先を地図に指しをり秋扇   緑斗

時代劇などでよく見る情景だ。扇子を逆様にして図面上で目的地を指し示す。グループのハイキングでも気がつくと同じ事をしていた。(道士)

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