鼓動集鑑賞 (前月以前) 

俳句と鑑賞
 2020年7月号より 
伊賀晴れて盆地ゆるみし桃の花   工原千賀子

  伊賀は三重県の北西部に位置する。江戸時代には藤堂家の城下町や伊勢神宮への参宮者の宿場町として栄えてきた。芭蕉の生誕地としても有名である。春になり寒冷の盆地の気候も緩み、桃の花が満開なのである。  
 2020年5月号より

鰐口のまこと古びし宮の春  平野 敏子

  簡単に云えば賽銭を入れて、布製の綱を振ってガランガランと鳴らす時の鈴のようなもの。その鰐口の随分古い神社の春の景色である。  

2020年3月号より 

数ならぬ身を尚生きて冬に入る   平田 淑子

数ならぬ身とは、自分の事を述べる謙譲古語である。(三省堂 大辞林 第三版)とるにたりない我が身であるが、尚も生きて冬の季節を迎えたとの句である。

2020年1月号より  

老犬と散歩の道やいわし雲    黒川佐規子

高空にま白な鰯雲。共に暮らしてきた老犬との散歩。谷内六郎の絵画から抜け出したような、ほのぼのとした風景である。こんな幸せな日がこれからも、いつまでも続きますようにと、祈りたくなる日々である。

2019年11月号より 
短夜や夢見の中の寄辺なし 平田淑子

夏の夜の夢見の中には自分の身を寄せるあてが無いと云う、淋しくて切ない俳句である。 

 2019年9月号より 

庭先にシャモ飼ふ家や山つつじ   平野敏子

なつかしい昔の農家の情景を写し取ったような俳句である。シャモの名は、当時のタイの旧名・シャムに由来する。昔は庭先に鶏を飼っている農家が多く、山つつじが美しかったもので、和やかな風景である。

2019年7月号より  

野良猫の大きなあくび春隣 幸子

厳しい冬が去り、野良猫が伸び伸びと大きなあくびをしている。春が近付いたので野良猫もホッとしているところであろう。長閑な風景である。

2019年5月号より 

懐に小銭背中に春日差  馬嵐

  健康に歩けるならば、特段ほしいものは無い。咽喉が乾けば自販機で茶を買い、腹が減れば食堂で軽食や饂飩を喰い、帰りたくなればバスに乗って帰れる程の小銭と、背中に暖かい春の太陽があればそれで良い。若い時とは違い、今はこれだけで充分なのである。これだって贅沢だと云う人も大勢居るのだ。

2019年3月号より 

でかんしょや丹波篠山小夜時雨   淑子

デカンショ節は学生歌という経歴を持つことから、かけ声の「デカンショ」は、「デカルト」「カント」「ショーペンハウエル」の略であるという良く知られた説もある。他に「出稼ぎしよう」の意味であるなど、諸説ある。そんな篠山の夜が時雨れたのである。

2019年1月号より 

俗世の風が揺らせる施餓鬼幡  千賀子

 施餓鬼とは仏教の儀式の一つで,餓鬼に施すために行われる法会。食物に『救抜焔口陀羅尼経』に説かれる陀羅尼によって加持すると餓鬼の苦を取り除くとされる。浄土真宗を除いて,ほとんど各宗で行われている。盂蘭盆会に祖先の霊を供養するために行われる場合が多い。寺で行う施餓鬼の幡を、この俗世の風がばたばたと揺らしている姿である。

 2018年11月号より

宿坊の膳に手馴れの冷豆腐  淑子

 豆腐は庶民の生活に密着しており、江戸では物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されていた。「豆腐値段引下令」に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることが出来なかった。現在の宿坊では精進料理を出すが、その中でも豆腐は得意料理のひとつである。

2018年7月号より  

五月雨今日は目薬うまく点せ 幸子

 五月雨と目薬の取り合せや、雨の「め」と目薬の「め」が響き合う。何とは無く、目薬がうまく点せたような気になる。シンプルだが心地良い句の香りがする。

2018年5月号より  

肩書きを捨てて呑むべし目刺焼く 義治

肩書に頼って生きてきた男性諸氏には、肩書の無い定年後の暮しは実に難渋で無味乾燥である。特に男同士の初対面では、頭の隅に現役時代の肩書が残っていて、無意識に互いの背丈を測っていたりもする。そんなことを忘れ、安価で庶民的な目刺で酒を飲むべし。それこそが老後の自由な生き方なのだと悟ったと思った時にも、残念ながら、まだまだ意識の奥に、肩書の世界が残存しているのかも知れない。

2018年3月号より 

雑煮喰ぶめでたく一つ年を喰ひ =幸子=

(前略) 丸餅/角餅 すまし汁/赤味噌仕立て/白味噌仕立て/小豆汁などいろいろあるが、関西地方では丸餅、寒冷地や東京周辺では角餅を使う傾向がある。雑煮を食べる際には旧年の収穫や家族の無事に感謝し、新年の豊作や家内安全を祈り、この句のように芽出度く一つ年を喰うことになる。  

 2018年1月号より 

身代はり猿褪せし奈良町小豆売る =千賀子=

奈良町の家の軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしているのである。この奈良町で奈良の伝統的な小豆「宇陀大納言小豆」が売られていたのであろうか。  

  2017年11月号より

夜風身に添ひつ虫の音高まり来 =敏子=

秋の夜のひと時を、体に感じる涼しい風と、高まり来る虫の音で表現されている。この一瞬の以前にはどのような日常があったのか。この一瞬の後には、何が待っているのか。そんな事とは関係なく、この瞬間の皮膚に感じる風と耳に聞える虫の音のみを句に表現している。 

 2017年9月号より

果樹園に嫁ぎ生涯袋掛 =淑子=

本来は袋掛け等をしないほうが味が濃くておいしい果実が出来るのだが、コガネムシやカメムシの被害を防ぐ為には、農薬を散布するか袋掛けをするかの選択をしなければならない。果樹園に嫁ぐと云う事はこのコガネムシやカメムシとの闘いに参加することであり、生涯袋掛けをすることに繋がるのである。 

 2017年7月号より

庭隅のどくだみ闇に白十字 =正邦=

どくだみの開花期は五〜七月頃。茎頂に、四枚の白色の総苞(花弁に見える部分)の花には花弁も萼(がく)もなく、雌蕊と雄蕊のみからなる。生薬名十薬(じゅうやく)とされ、日本薬局方にも収録されている。十薬の煎液には利尿作用、高血圧、動脈硬化の予防作用などがある。まさしく赤十字ならぬ白十字として役立ってきたのである。

2017年5月号より 

さざなみの虜となりし残り鴨=敏子=

 春深くなっても居残っている鴨のこと。鴨は冬鳥として日本に渡来し、春になると北方へ帰ってゆくが、帰る時期の遅い小鴨などは五月ころまでとどまることもある。軽鴨は留鳥なので残る鴨とは云わない。残り鴨は体調が悪かったり、連れ合いの行方が分からないなど、何らかの事情があり、仲間とは一緒に帰れなかった鴨とみられるが、この句の鴨は、寄せ来る細波の虜になってしまって帰れなかったのであろう。

存らへておみな四代雛の前=淑子=

 ながらへて=年齢を重ねての意。おみな=女。女性。おみな四代とは、曾祖母、祖母、嫁、子女の四代のことであろう。その四代が雛壇の前に揃った。まこと目出度いことである。

2017年3月号より 

  冬薔薇の刺も身のうちそっと撫ぜ =正邦=

薔薇になぜ刺があるのか。有力なのは、護身の説である。バラの原種は、中近東や中央アジアなど北半球の草原に自生していた。草食動物に食べられないよう、トゲで身を守っていたと云うもの。まだ蕾も出ない冬の薔薇が、寒さに身を固くしながら刺で身を守っている姿が可憐であり、そっと撫ぜてみたのである。

田作りや昭和の味を噛みしめて=敏子=

黒豆・田作・数の子などは江戸時代からのおせち料理の定番メニューである。(江戸ガイドから)その内の、現代の田作りは、カタクチイワシの素干しを軽くあぶり、しょうゆ、みりんまたは砂糖を煮込んだ液と混ぜたものである。(中略)この、醤油・味醂・砂糖の単純な味付けを、昭和の味と感じたのであろう。

2017年1月号より 

秋うららシャンソン流るバスの旅 敏子

日本で有名なシャンソンと云えば、枯葉とかバラ色の人生・愛の賛歌・ラメール・忘れな草などであるが、日本人が乗り込んだフランスのバスでも気を利かせて、日本人好みのそのような曲も流してくれたのかも知れない。それを聞く心は、もう秋うららなのである。

  祖谷の里渓より暮れて秋深し   チエ子

(前略) 一帯は源氏の追っ手の届かない平家の隠れ里(地理学的には隠田集落と呼ぶ)として名高く、日本三大秘境を謳う地である。この急峻な渓谷から日が落ちて夕方を迎えた祖谷は、今深い秋の只中にある。

2016年11月号より 
あみだくじ来世は金魚ゆうらゆら 幸子

あみだくじは、室町時代から行われていたが、現在のあみだくじとは違い、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いて、それを辿り引いたものであった。これが阿弥陀如来の後光に似ていたことから、この名がついたと云われている。来世はあみだくじを引くように、どうなっているのか分らない。もしも金魚になっていたら、ゆうらゆらと生きてゆくのであろうかと、そら恐ろしく、又、楽しい夢想の俳句である。

新涼や放下して立つ月のもと  暁子

放下はいろいろ考えられるが、この句の場合は禅語の「放下著(ほうげじゃく)」 (趙宗和尚 (じょうしゅうおしょう))に近いものであろうか。あらゆる迷いや執着を捨て去ることで心から身軽になることである。尾崎放哉の俳句「持ちきれない荷物の重さ前後ろ」のようでは、進退極まるのである。新涼の夜に一切の余分な雑念を捨て去り、青い月の下に立っている。そんな凛とした姿の句であろう。

 2016年9月号より

長らえし余生を思い鰻屋へ 正邦

  (前略)

土用の丑の日に夏バテ予防に食べるのが通例だが、卒寿を過ぎての健康を念じ、鰻屋で贅沢をしたのである。鰻は夏の季語ではあるが、旬は冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、その頃は脂が載って、さらに美味になっているのだそうだ。

出目金や生涯見えぬ己が腹 馬嵐

金魚はおよそ1.500年前の中国南部、揚子江下流域で発見された赤いフナが祖先といわれている。(中略)

あはれ、天上ばかりを見る目を与えられた出目金は、自分の腹を見る機会など無いだろうが、人類にも同じように自分の背中や腹の内まで、じっくりと見る機会が無いようにも思える。

 2016年7月号より 

蛍烏賊ほろりと苦き命食ぶ 千賀子

 蛍烏賊は7a〜10a。佃煮、酢味噌和え、沖漬け、素干し、天ぷら、唐揚げ、足だけを刺身にした竜宮そうめんなどがある。古くより食されてきた食材だが、地元では決して生では食べない。生食により寄生虫症を発症し、腸閉塞、皮膚爬行症、眼球移行症などを起こすことがあるからである。もちろん、蛍烏賊にもそれぞれ命があり、蛍烏賊を食することは蛍烏賊の命を食していることになる。 

いやいやをしてめまとひの渦逃す 敏子

「めまとひ、めまわり、めたたき、糠蚊、揺蚊」など、人の顔などにまつわりつく小さな羽虫。風のない夏の夕暮れどき等に野道や河原、林などに出てくる。人の目の中へも入り込む。ハエ目ヌカカ科の昆虫の総称。体長は1ミリから3ミリほどで、一部の種類の雌は、蚊と同様に人や家畜の血を吸う。蚊よりも小さく、ひとかたまりとなって飛ぶ。刺された後、あとで腫れと痒みがくる。この嫌らしい渦巻く集団から顔を左右に振って逃れたのである。

2016年5月号より   
花菜風背ゆったりと毘沙門天 幸子

毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強まり、また正月の追儺で、無病息災の神という一面が加わる。この毘沙門天の背中に、菜の花の風が吹き込んでいる。

菜の花の誰見るもなき畦まかせ   道士

 江戸時代、見渡す限り黄色い花が一斉に咲くアブラナ畑は人々に強い印象を与え、「菜の花」と呼ばれて親しまれるようになった。ところが最近、菜の花は油を採ったり見たりするだけでなく、食べ物としての人気も高まっている。それで生産者はもっぱら菜花作りに精を出すようになり、温室やビニールハウスで育て、冬の内から競争で出荷するほどになった。(水牛歳時記から抜粋)菜種油用から食用へ。畦には種子が飛んだのであろう一本の菜の花が、誰の視線を浴びるでもなく咲いている。

 2016年3月号より  

ざっくりと麻苧で結へ泥根深   敏子

あさを(麻苧)=麻の繊維を原料として作った糸。麻糸。泥根深は泥つきねぎ。関東主流の根深ねぎで、関西は葉ねぎ。関東は白い部分を鍋にいれ、関西は青い葉の部分を刻んでうどんなどに入れる。

泥根深の収穫の場面を描写した俳句なのであろう。

菊炭の切口美しき釜始   淑子

 釜始とは初釜と同じで季語は新年である。初釜式での作法、着物、のし袋、挨拶などがウェブには細かく記載されていて、中々に面倒そうである。菊炭の名は木口に綺麗に現れる放射状の割れ目模様が菊の花を思わせることに由来する。また、樹皮もそのまま綺麗に炭化してかたちを留めていて、それが特に木口面での美しさをさらに高めていて、眺めていて退屈しない。

 2015年11月号より 

老人会月見で病話しかな 正邦 

 東京巣鴨地蔵通商店街で高齢者の会話のネタを調べている。一番は健康について、二番は思い出話、三番は故郷について。老人が集まればどこでも同じような話題になるのではないかと思われる。月見をしていても、風流よりは自分の健康が気になり、病の話に移ってしまう。やむをえないところだが、何とも侘びしい姿である。(馬嵐)

苦瓜を誉めて往診の医師帰る みすき


苦瓜は、ゴーヤー・蔓茘枝(つるれいし)とも呼ばれる。薬効があると噂されている血糖低下や食欲抑制などの効果は薄い。ゴーヤの消費量が多いはずの沖縄県での二〇一五年掲載の糖尿病死亡率は県別で男女とも二位であったことも、それを証明している。往診に来た医師は、そのことを知っているが、大きく育った苦瓜を褒めて帰ったのであろう。今どき往診に来て呉れる医師など珍しく、実に有難い存在である。(馬嵐)

2015年9月号より 
初蝉に続きて風のささやける 敏子

一九二三年(大正十二年)九月一日に起きた関東大震災では、この年の七月から八月にかけて、神奈川県川崎市一帯で蝉が全く鳴かなかったことが記録されている。同様の現象は埼玉県や伊豆半島でも見られたということである。また一七〇七年(宝永四年)の夏には、伊勢国萩原(現三重県亀山市)天災の前触れとして蝉が地上に姿を現さなかったのでは無いかと思われているのだ。初蝉が聞けて、やさしい風があって、今年は大丈夫、天下太平である。(馬嵐)

風入れて安気な暮らし古簾 淑子

 すだれは夏の風物詩である。『万葉集』には風で簾が動く様子を詠った短歌があり、簾の歴史は少なくとも奈良時代まで遡る。

集歌一〇七三  「訓読」玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)て見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも 「訳」 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りで部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。「現代」も簾を通して風を入れ、独り安気な暮しをしている。奈良時代と何も変わらぬ趣きが感じられるのである。 (馬嵐)

 2015年7月号より 

点滴に繋がるる身や初夏の窓 みすき

せっかくの気持の良い気候の初夏ではあるが、わが身は無残にも点滴に繋がれて身動きもままならない。せめても窓からの外の明りでも眺め、無聊の身を慰めているのである。ちょっとした風邪引きにも、今は健保で点滴が適用されていて、世界的にも点滴大流行の兆しが見られる。 (馬嵐)

遠望の青嶺かつては踏破せし 道士

 季語は「あおね」、夏山のこと。若い頃は歩くのはそれほど苦でも無く、今に比較すると質素な装備でありながら、あの遠くに見える嶺々を踏破したものである。その当時の仲間達は、今はどうしているのであろうか。 (馬嵐)

 2015年5月号より 
遠き日の吾が影曽孫入学す けん一   

曾孫は「ひまご」で「そうそん」とも読む。子→孫→曾孫(ひまご)→玄孫(やしゃご)の順で、孫の子供のことである。誰にでも詠める句ではなく、さすがに百歳を越えられた石本さんならではの句である。昔々自らが歩んでこられた姿を、新入学される曾孫に投影されて、感慨もひとしおなのである。(馬嵐)

涅槃絵の鬼の涙は描かれず  敏子

涅槃絵」とは、釈迦の命日に多くのお寺の堂内に掲げられる絵図のこと。釈迦は現在の暦で三月十五日が命日とされ釈迦の母・摩耶夫人(まやぶにん)は天の世界から愛するわが子の病気を治すために薬が入った袋を投げたが、その薬は木に引っ掛かって届かなかったと伝えられ、釈迦の頭上の木に引っ掛かった薬袋も描かれている。これは、釈迦を含め、どんな人もというものから逃れることはできないという、仏教の深い教えが込められたもので、多くの弟子や様々な動物が、釈迦の死を嘆き悲しんでいるのであるが、この句では、鬼だ けは嘆かず、涙は描かれて居なかったと云うのである。(馬嵐)

 2015年3月号より 
柚子一つ置きてゆたかや夕厨  千賀子

 味覚の引立て役として柚子は大活躍である。クックパッドのレシピでは、柚子が関連する料理が一万七千も紹介されている。柚子胡麻、柚子茶、柚子ジャム、などが主なものであるが、柚子大根や柚子風味の牛丼などもある。柚子ひとつを持っていれば、夕食に変化を与える調理の強い味方になるのであろう。 (馬嵐)

山眠る北アルプスの道祖神   淑子

 北アルプスは、富山県、岐阜県、長野県に跨って連なる山脈で、新潟県の部分も一部にある。飛騨山脈の通称。穂高や槍など三千bを越える頂上が十座もある。この北アルプスの峰々が眠っている。麓の村には、旅の安全を祈る道祖神が祀られていて、その道祖神と共に、凍てついた山々を眺めて居るのである。(馬嵐)

 2015年1月号より 

切り株にギター奏でる小六月  千賀子

 小六月は陰暦十月の異称。冬でありながら汗ばむ陽気のことで、「小」は接頭語で、六月の陽気に準ずる、くらいの意味である。そんな暖かい日なので、切株に座ってギターを奏でているのである。調べた訳では無いので真偽の程は保証できないが、ギターや三味線のような弦楽器は、弓矢で狩猟や闘いをしていた民族が、弓鳴りに興味を持ち、楽器を作りだしたと云われている。六弦のギターには十六世紀後半、日本の室町時代後半の頃からの古い楽譜が残っていて、その楽譜で今でも当時と同じ曲を弾くことが出来る。実に不思議で優雅な境地なのである。(馬嵐)

朝寒や十年一日水仕なり  淑子

  水仕とは御厨子(みずし)」から転じて水仕事や台所仕事をすることを指す。昔は水道も完備されておらず、近くの井戸や水場から水を汲んで来て、台所の甕に貯めて置き、それで水仕事をした。杉田久女にも、水仕の俳句がある。「夕顔に水仕もすみてたゝずめり」寒い朝には、そんな水仕を十年一日のごとく続けていた、辛かった日々を懐かしく思い出すのである。(馬嵐)


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